『田園の詩』NO.22 「柿が取り持つ縁」(1994.12.6) お経に「黄色黄光 赤色赤光」という文言があります。今、「仏の里」といわれ、 数多くの寺や石仏のある国東・六郷の山々は黄色赤色の紅葉で、まさに浄土荘厳 の相を呈しています。名勝・耶馬渓まで出向かなくても、近くの山々でハッとする ような光景に出合ったりします。 しかし、この季節、私にとっては「花より団子」ならぬ「紅葉より柿」です。 世の中に柿がなかったならば「秋の心はのどけからまし」と自分でも思うほど に柿好き人間なのです。 実は、私には、百パーセントに近い確率で、甘柿か渋柿かを見分ける能力が あります。これは私に限らず、田舎で育った同年の者達に共通の特技といえる かもしれません。 何故かといえば、それはひとえに子供の時の訓練によるものです。学校帰りなど に、仲間と一緒にあちこちの柿を無断で戴いて、甘いか渋いか確かめました。その 成果が実ったのです。「昔取った杵柄」ならぬ「子ども時代のいたずら」で、私は 他にも沢山の能力を得たような気がします。 ![]() 柿には、表年と裏年があるようです。昨年は、ほとんど実をつけなっかたのですが、 今年は、柿の赤ちゃんがいっぱいついています。 秋が楽しみです。 今、花が咲いています。ちなみに、これは渋柿で、干し柿用になります。(08.5.27写) そんな私に、一時期、柿に無縁のつらい日々がありました。京都での学生時代、 柿を買って食べることはしませんでした。柿は自分で木から取って食べるべきもの という美学を持っていたからです。 何年目かのある晩秋の頃、私は一人の女性と何かの会合で知り合いになりました。 その人の家に遊びに行った私は驚喜しました。庭に、なんと富有柿が五・六本実を たわわにつけているではありませんか。私の目に狂いはなく、その時食べた柿の味 はいまでも忘れられません。 それから何度、柿を食べに通い続けたことか。柿が取り持つ縁で、とうとうその女性 と結婚することにまでなったのです。 今、我が家には、近所から戴いたものを含めて沢山の柿があります。それでも女房 は京都の実家から送ってもらいます。「味が違う」らしいのです。大分の富有柿と 種類は同じですが、私にとっても、やはり一味違うものではあります。 (住職・筆工) 【田園の詩NO.】 【トップページ】 |