三宅城趾碑

「大阪府史蹟名勝天然記念物」によると三宅城の規模は、東西320間(582メートル)、南北300間(545メートル)の城域に濠をめぐらし、本丸址は、東西100間(182メートル)、南北150間(273メートル)に及ぶ。

今は、阪急電鉄京都線の線路が城址を横断し、濠の跡と思われる低地が水田(平成初期まで)になっていた。また城地を今は字城ノ内といい(城ノ内マンション辺り)、城の丑寅の方向には、大字丑寅がその名を留めている。

なお、この三宅城趾碑は、もとは阪急電鉄京都線の線路内にあったが平成8年当地へ移転された。



最終更新日: 01/29/05