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岡城に入城した中川秀成は、城中桜馬場に仮住し、城縄張りとして、三宅 六郎兵衛と石田鶴右衛門が担当し、石垣工事には、穴太伊豆を大坂より招いて、岡城の大改築のに着手しました。
志賀氏の時代には大手は下原口で城下町は狭田十川であったが、加藤清正の指示により、大手門を西南に設け(現在地)、下原、近戸の3門を改築した。
参考文献 「中川氏年譜」、「中川氏年譜附録」
徳川氏の治世になると、諸大名に工役を命ずる天下普請が実施されました。大坂城修築は、元和6年より寛永5年(1628)まで3回十年にわたる大工事で、中川久盛も元和7年9月10日に石割奉行に三宅 平右衛門を命じている。
| 時期 | 石丁場 | |
| 第1回工役 | 元和6年 | 二之丸西・東面に23間3尺 |
| 第2回工役 | 寛永元年 | 本丸に6間5尺 |
| 第3回工役 | 寛永5年 | 二之丸南面に11間6尺9分 |
徳川期の天下普請による城の石垣石には刻印をみることができるが、大坂城の中川家石丁場の刻印に三宅氏の符牒を見ることができる。
大阪成蹊女子短大 岡田名誉教授より
最終更新日: 01/29/05