三宅 禮太郎の逸話

号を齢月と云い、為人幹躯雄偉、磊落にして斗酒辞せず、店は新町角に万屋と称し通運業を営み、自分は御札場に出仕し、滑稽諧謔口を突いて出て、複雑な事を一気に所理する敏腕であった。父の遺妾が三宅家に尽くした功績に感激し、妾の葬式を時、自分独りで棺桶を担い正覚寺に葬送した。

曽て宮島商人が宮島杓子を仕入れ、半も捌かぬ内にカク乱病に罹って、11月の末、万屋で手厚い介抱も詮なく遺言して逝いた。其の遺嫡が万屋を訪うたのは歳晩の頃で、残りの杓子を売り杓く方法もなく思案に暮れていたら、齢月翁は其の沢山な杓子に一々自作の狂歌を書き、遺嫡に烏帽子直衣を着せ、正月2日の縁起に家毎にほうり込ませ、意外の益を挙げつつがなく宮島で帰らせた。

釜ならでかけまく願を米のめし
すくわせ給う神の御杓子

 

 


最終更新日: 01/29/05